ギャラリー330取材報告 ― 「アートスポット」掲載基準検討の手がかりとして
リサーチャー 谷口茉優(うかぶLLC)
2026.08.05
はじめに
本記事では、TPlat webサイト内の、鳥取県内の文化的・創造的活動の拠点を紹介するページ「アートスポット」の掲載基準の設定を目的に、各地で活動する場の背景や運営のあり方を取材した。本サイトは、情報の掲載にとどまらず、実際に現地を訪れ、関わるきっかけを生み出すことを目的としている。今回は、地域の作家に発表の場をひらいてきたギャラリー330(さんさんまる)を取り上げる。
鳥取市にあるギャラリー330は、貸しギャラリーを中心に、公募展など自主企画も活発に行っている。ご夫婦で運営し、「どちらが欠けてもできない」と話す。運営は、二人の身体と生活の上に成立している。今回の取材では、夫婦二人で営むこの場所の原動力と、その創造のかたちを探った。
ギャラリー330 インタビュイー:薮野 義男さん、みゆきさん(ご夫妻)
老舗画廊の閉店
ーギャラリーを始めるきっかけは、地元の老舗画廊「ギャラリーあんどう」の閉館だったとお聞きしました。どのような流れでオープンに至ったのでしょうか。
義男さん:当時、五十歳で退職して、周りの友人はまだ仕事をしているし、昼間は何もすることがなくて、趣味もない。 奥さんも仕事をしているから、 自分は家のことをしていたり、なんとなく毎日を過ごしていて。
ひょんなことからギャラリーあんどうに行ったんですよ。それからは、新聞に展示会の取材記事が出ていると、面白そうだなと思ったものにふらっと行ったり、土日は奥さんと一緒に行ったり、そんなふうに過ごしていて。 とある展示会会場でギャラリーあんどうの閉館の話を聞いたもんで、自分がやろうって思った。
ーギャラリー330は、義男さんの強い思いに押されて始まったんですね。そこまでやりたいと思った理由は何だったんでしょうか。
義男さん:ギャラリーをやると言ったら、家族から大反対を受けたわけだ。…そんなに言われるもんならやってみたろと思って。
みゆきさん:(初めて聞いた時は)びっくりしましたけど、言っても聞かないから。私もやるしかないって感じですね。
ー退職されたからギャラリーに通うようになったとのことですが、その当時は美術関係のお知り合いはいらっしゃったのでしょうか。
義男さん:当時、美術関係の知人は全然いなかった。でも他の知人、不動産屋、土建屋、大工、水道屋といった知り合いはたくさんいた。だから、知り合いの不動産屋に中古物件を探してもらって、それがここ。きれいだし、天井も高いし、道路沿いだし、まあここでいいんじゃないかなって決めたんだ。
「画廊」という言葉の重さと、「330」という軽さ
ーお名前はどのように決められたんですか。
義男さん:どんな名前つけたらいいかも知らんしね。最初は、まあ日本人だから、漢字でいきたいなと思って、「山」「桜」「愛」とかを候補に挙げた。でも、検索すると、同じ名前の店が無数に出てくる。なかなか決まらないままオープンは近づいていくし、悩んで、悩んだ末、オープン日の3月30日から読み方を「330(さんさんまる)」って名前にした。
ロゴは、知人の紹介でイラストレーターの伊吹春香さんに制作してもらった。伊吹さんは当時は会社に勤めていた。他に依頼先もなかったこともあり、紹介されてそのままお願いした。完成したカンバンと店名、ロゴは、大学生とか若い方には「おしゃれ」って好評だった。けど、高齢の方は、「なんで“ヨヨロ”(よよろ)なん?」て読み方を間違えられることが多かった。浸透するまで三年半ぐらいかかってね。最初の方の電話は、全部“ヨヨロ”(よよろ)で入るんだもんな。もうどっちでもいいわと思って。
ー名前の候補が、現在の330さんとイメージが異なっていて驚きました。当時目指していたギャラリー像は、今のものと違いましたか。
義男さん:当初は、専属の作家が順繰りに展示する画廊を思い描いていた。でも、「330」という名前の雰囲気や、自分に美術の経歴がないっていうイメージもあってか、なかなか固定の作家が定着することは難しかった。それでも企画や展覧会を重ねるうちに、県外から利用する作家も来るようになったよ。
ー展示を重ねながら、少しずつ繋がりを広げていったんですね。
義男さん:そうしないと誰も教えてくれないし。まあ、よくやってると思うよ。自分で自分を褒める。本当に。
公募展の限界と「僕なりの企画」
ー立ち上げから10年近くになりますが、初期と比較して展示内容や企画の変化はありますか。
義男さん:最初は、絵画教室の個展やグループ展が中心だった。スポットライトの存在も知らず、すべて手探りで準備をしていた。公募の水彩画展も開催したけど、来場者は作家関係者がほとんどで、内輪感や文化祭の雰囲気を拭えなかった。そこで僕なりの企画を立て始めた。
例えば、鳥取中部の作家を自宅まで訪ねて、自分で搬入設営をして展示を行った。新聞取材を積極的に受け入れて、広報にも力を入れるようにもなった。
あるときは、30代の作家さんに「2Fのギャラリーに入って正面の12mある壁に絵を描いたら面白いのにな」って言われたんで、大工さんに頼んで12mのパネルを作ったんですよ。白く塗って。その子は働いていたから週末だけしか作業できなくて、さらにだんだんコロナが激しくなってきたため、最終日は12m壁画前でライブを配信した。(彼はバンドもやっていた)
ほかには、6平米に収まる作品を展示するっていう公募展をやった。うちのギャラリーは天井が3mあるので、天井3m×横幅2mで6平米。平面も立体も展示した。自分でも面白かったと思うな。作品を持ってきてもらって、私が設営した。自分でも楽しかったです。
ー新聞の記事を拝読したのですが、鳥取市に若い作家がほとんどいない現状を受け、若手公募展「ビルト展」を立ち上げたとありました。ここで出品されたのはどのような方々だったのでしょうか。
義男さん:絵画教室に行ってる高校生とか中学生とか、 独学でやっている人とか、ちらほら出てきたな。大学生の子もいたね。このビルト展に参加したあと、ここで個展をした人もいる。
みゆきさん:グループ展だけじゃなくて個展も経験してもらって、楽しさや経験を知ってほしいなと思って、何人かに声をかけたりしました。
義男さん:この辺はもうボランティアですもん。
縮小する美術圏の中で
ー全国的に美術館来場者や県展の参加人口は減少し、画廊も減っていると言われていますが、鳥取はいかがでしょうか。
義男さん:よほど知名度がないと、個展でも作品は売れない。画材も売れない。美術を見て買う文化がない。学校も教えないでしょ。
米子市や倉吉市と比較しても、鳥取市には複数のギャラリーと画材店があるけど、交流はほとんどないよ。作家もそれぞれ常連のギャラリーが決まっとるみたいだから、市内で制作してる人でも、あんまり展示しに来ないね。
以前はとにかくいろんな人に声をかけてきたけど、今はそれも必要ねえなと思ってる。もう「誰でもいいから展示して」ではなくて、この人の絵が素敵だなと思ったら「個展をうちでしませんか?」って直接連絡する。だって俺の店であって、雇われてやってるわけじゃない。だから好きなことやってやれと思って。作家さんと楽しくやりたい。
ー何を基準に声をかけるんですか。
義男さん:そりゃあ、自分で「ビビッとくる」かどうか。服を選ぶ感覚に近い。
俺は美術の歴史に詳しくないから、美大とかピカソとか、そういう話はできない。だからこそ、やりたいようにやる。自分のレベルにあった感性を大事にする。自由です。
それでも続く理由
ー私が初めてギャラリー330さんにお邪魔した際に、たまたまいらっしゃった利用者の方が「鳥取で展示するならここだなと思っています」と話されていたのが印象に残っています。その方は、義男さんからのオファーで初めて利用されたそうですね。今後はどのような活動をイメージされていますか。
義男さん:これからも同じで、やりたいことをやる。身体とお金がついてくるか心配だけど。もう七十歳過ぎたしね。夫婦でどちらかがかけたらできないし。
みゆきさん:でも時々スイッチが入るよね。「あれやりたい、これやりたい」って。
義男さん:うん。そんなのがあるから、成り行きに任せるかなあという感じ。適当にやっといたらいいんじゃねえかって。あとは、地図に残った。つまり歴史に刻まれたってことだな。よう、よくこんなことやったなと思うよ。まあ、それぐらいのもんだな。
結び
お話を聞く中で、初めて個展を経験させたことや、ロゴデザインを依頼したことなど、発表の第一歩を支えたというエピソードが多くあった。初めて自分の作品を人に見せるという経験は、誰もが緊張するものだ。ギャラリー330の立ち上げ当初からある「とりあえずやってみる」という行動力が、その緊張を和らげているのかもしれない。そして、「好きなことを楽しく」というシンプルな選択が、美術史や学歴といった評価軸に依らない独自の基準をかたちづくってきた。セオリーを持たない代わりに、感覚を信頼し、思いつきをかたちにする。その積み重ねが、この場所の輪郭をつくっている。
今回の取材では、ギャラリーごとに異なる個性や、その立ち上げの背景、企画のあり方や運営の姿勢に注目した。ギャラリー330の場合、美術の外側から場を立ち上げ、わからないところから自主企画を重ねることで場所をつくってきた点に、そのおもしろさがあると感じた。
美術の知識や人脈ではなく、感覚と好奇心によって誕生したギャラリー。人が出入りし、風通しのいい場所である。こうしたあり方は決して特別なものではなく、ほかのスポットにもそれぞれ異なる背景や個性があるのだろう。その一つひとつを見つめていくことで、鳥取のアートスポットはより多様に立ち上がってくるのかもしれない。